岡林 孝次

英雄の想い

お久しぶりの投稿です。

この記事は9月25日に感情のまま書いたもので、その時の気持ちを残さないといけないと考えて保存しておりました。

今から約2か月前ですが、忘れられないような辛い出来事や決して諦めず乗り越えなければならない業務と仕事上の責任、

大往生してくれたおばあちゃんとの別れ、この2か月は公私ともにいろいろなことがあり過ぎました。

 

 

 

【英雄】とは、武勇や才知などがすぐれ、普通の人には出来ないような事柄を成し遂げる人。別称は「HERO」と調べると出てきました。

 

神話、伝説や歴史上、世界的にみても今までに何人いたかという限られた存在にしか当てはまらない呼称のようです。

 

実は、私の身近に英雄と呼ばれる人がいました。

 

それは、「ひでお」という名の10年前に亡くなったおじいちゃんです。

そのおじいちゃんは、福沢諭吉、松下幸之助、渋沢栄一に代表される日本の偉人が大好きで、物心がついた時から、昔の古い本を押入から持ってきては読み聞かされて、時には読まされて、わけもわからずにその話を熱心に聞いていたことを思い出します。

 

 

 

少なからず何らかの影響を受けたのか、自分が学校を卒業する前には、愚直に想いを貫く偉人と呼ばれる経営者、英雄的な人物に、漠然とした憧れを抱いたことが懐かしいです。

商学・経済・経営学を学びたいと将来の進路を考えていた私の初心は、いつもそこが原点でおじいちゃんからの教えの一部が今でも刻まれています。

 

 

そのおじいちゃんは、その時にいったい私に何を伝えたかったのか…

残念ながら思い返しても、その答えの全ては未だにわからないままです。

 

ただ、戦後ボロボロの焼け野原になった貧しい日本での厳しい生活を経験し、兄を戦争で亡くした悲しみを一生涯ひとりで背負い、嘆き、悔み。10代半ばから妹二人を親のかわりに育て、朝の日が昇る前から夜が更けるまで商売に明け暮れていたとおじいちゃん本人からではなく、母親からきいたことがあります。

 

「厳しい世の中で、生き抜いていくためには謙虚に威張らずに、辛いことがあっても頭で辛いと考えず、いつもニコニコと人の前に立って人を笑顔にする。」

 

簡単にできることではありませんが、おじいちゃんからの教えをつないでいくと、そんな言葉にまとめられるように感じます。

 

威厳はあるが、客商売で人には頭を下げて謙虚な姿。

言葉足らずで話し上手ではないけど、自分の利益ではなく自分のことを置いてでも人を想う行動と熱い気持ち。

芯を曲げない強さと人情味がある優しさとあたたかさを持った人でした。

私もそんな人になって、こどもや孫につないでいきたいです。

 

小児喘息で体が弱かった私の将来を心配して、おじいちゃんが何を教えたかったのか…

力の強さではない最強のこと。

それは、わざとアホになることを演じて笑って受け流すことができるような頭と体の使い方。

何か楽しいことが特別にあるわけでもないのに、なぜか笑っている、辛いときも笑っている。

何を考えているのか、不思議な人だと人からは思われるかもしれませんが、おじいちゃんから学んだことは、そうやって

様々なことが起こる人生を歩んでいくことが自分にとってはいいんだと今になって思うことがあります。

 

日々はゆったりと流れる水のような優しい柔軟な生き方に。

ただ優しいだけではなく義に反することがあれば、時には水でも津波や豪雨のように恐ろしいほどの相反する強さを

持ち合わせなければならない意味を教えたかったのかもしれません。

 

おそらく私が10歳くらいの時に教えられた印象的な言葉があり、今まで数年に一度くらいどうしようもなく辛くなった時には思い出して、冬にでも水のシャワーを浴びて、寒さに震える心身を無にして、あたたかいと頭で考えているうちに温まってくる体温を感じて、いま生きていることを実感することがありました。

 

心頭を滅却すれば、火もまた涼し』

どんな困難や苦難も、それを超越した境地に至れば、苦痛と感じなくなるものである、という意味のようです。

 

 

無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるということから、どんな苦痛であっても、心の持ち方次第でしのげるという仏教の教えで、おじいちゃんはお店の売り物のキリンビールの瓶を数本くらいあけて、少し酔っぱらいながら私にそのコツを一生懸命に教えてくれていたと記憶に残っています。

 

 

私にとっての英雄である、小さな旅館の経営者でもあったおじいちゃんの生き方は、【自分よりも人のために、人を想って行動する。自分ではない人のために尽くして、人から頼られ愛される。日々頭を下げて謙虚だけど間違ったことは決して許さない強さを持ち、人の考えを尊重する】 なかなか私には真似ができないことをやっていたのだなとこの歳になって改めて思い返します。

 

3月末に行った夕暮れ前の最御崎寺(ほつみさきじ)とそこからの景色。

 

いつもの爽やかな海は、少しさみしさをにじませて、その日も優しくあたたかく穏やかにみんなを包みながら、心を和ませてくれているようでした…

 

 

人生の道半ば、少し詰まりかけると山のお寺で時折、手を合わせに行かせていただきます。

 

いつか、孫に語りかけるおじいちゃんになる道は、霧が濃くてあまりみえませんが、決して遠くない未来に、自分ならばわが子やその次の世代に何を残して何を語っていくのか…

 

 

まずは、高知にある大切な自然や資源を活かして、ひとりひとりの人をしっかりと守り、安心して活躍ができる場所。

これからを担う若者が失望しない強い経済と社会。

 

先人から受け継がれる社会、これからの課題に向き合うために、自分にできる日々を歩んでいきたいと考えます。

 

 

今の自分にできること、それは誠実に、安心できる家づくりのお手伝いで皆様の人生のお役に立たせていただきます。

 

 

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